古墳の出現と渡来人の集落

古墳時代の南山城では、前期に椿井大塚山つばいおおつかやま古墳(木津川市山城町)、中期に久津川車塚くつかわくるまづか古墳(城陽市)を頂点とする大型の前方後円墳が築かれました。前期には、椿井大塚山古墳以外にも八幡丘陵等、南山城の各地に大型の前方後円墳がみられましたが、中期になると、大型の前方後円墳は久津川古墳群に集約されました。大型古墳の分布の推移は、南山城地域を支配した首長の交代といった政治勢力の変化が想定されます。

木津川左岸に位置する精華町域・旧木津町域では、古墳時代を通じて円墳を中心とする多様な古墳を確認しています。
古墳時代前期から中期にかけて(3世紀後半~5世紀)、精華町西部の丘陵上を中心に、平谷ひらたに古墳群(菱田)鞍岡山くらおかやま古墳群(下狛)・北尻きたじり古墳群(北稲八間)といった複数の古墳群が出現しました。このうち、鞍岡山古墳群は4基から成り、古墳時代前期後半から中期初頭に築造された3号墳は、墳丘を葺石ふきいしで覆う大型の円墳で、墳丘の裾部に2つの島状の高まり(島状遺構)を有します。短甲たんこうや剣・刀等の武具、滑石かっせき製の石製品、船の線刻せんこくを施した円筒えんとう埴輪はにわ等多くの副葬品が出土しました。

古墳時代中期末から後期初頭には、木津川左岸の自然堤防に椋ノ木古墳群(下狛)が築かれました。

古墳時代後期(6世紀)になると、小型古墳が密集する群集墳が築かれました。畑ノ前古墳群(植田・精華台)・畑ノ前東古墳群(植田)にみられる人頭大の川原石を積み上げた石室は、近畿には類例がなく、岐阜県や愛知県に集中して分布しており、精華町域と東海地方との深い関係を示しています。
また、古墳時代の集落跡としては、椋ノ木遺跡(下狛)・柿添かきぞえ遺跡(下狛・北稲八間)・北稲きたいな遺跡(北稲八間)・森垣外もりがいと遺跡(南稲八妻)を確認しています。森垣外遺跡は、朝鮮半島の影響が強い大壁おおかべ住居や陶質土器が出土しており、渡来人の集落と位置付けられます。

鞍岡山3号墳の全景写真

鞍岡山3号墳 全景

鞍岡山3号墳出土鉄製品

鞍岡山3号墳出土鉄製品

畑ノ前東1号墳横穴式石室

畑ノ前東1号墳 横穴式石室

 

 


コラム:鞍岡山古墳群・3号墳のジオラマを見てみよう!

鞍岡山古墳のうち、2号墳と3号墳は開発で消滅してしまいましたが、過去の地形とともに復元ジオラマを作成し、町の歩みの継承を図っています。

現在は、地形ジオラマ・3号墳復元ジオラマともに、むくのきセンター(下狛神ノ木8番地)の2階エントランスで展示しています。近くにお立ち寄りの際に、ぜひご覧ください。