南都参詣と柞の杜

平安京への遷都後も、精華町域は、都(平安京)と南都(奈良)とを結ぶ街道・水路沿いの要所に位置しました。摂関家として権勢を誇った藤原氏の氏神である奈良の春日社(春日大社)へは、天皇・上皇・貴族が参詣に訪れ、途中、ははそもりで休憩をとることもありました。

柞とは、コナラや近似種のクヌギ等、どんぐりのなる落葉樹の総称で、柞の杜は、現在の祝園神社付近に比定される紅葉の名所です。平安~鎌倉時代には歌枕として広く知られ、多くの和歌に詠まれました。新古今和歌集の選者として知られる藤原定家も「時わかぬ浪さへ色にいづみ河 はゝその杜に嵐吹らし」と詠んでいます。

 

多彩な平安仏

精華町内には、平安時代に制作された仏像彫刻が数多く残されています。奈良時代の作風を色濃く残す平安時代初期の一木造の仏像をはじめ、優美な像容を表す和様の仏像、院政期の寄木造の仏像まで多彩な仏像が残されており、京都(平安京)と奈良(南都)の間にあって文化交流の盛んな地域であったことを示しています。

 


コラム 今に伝わる平安仏

精華町には、平安時代に作られた個性あふれる仏像が現代に伝わっています。あなたが気になる仏像はどれ?