稲代作り

くわ

鍬(くわ)
田畑を耕したり、土をくだいたり、鍬にはさまざまな使い方がありました。いろいろな種類の鍬があり、田や畑、土の質、作業のちがいによって使い分けられていました。

左から、平鍬(ひらぐわ)、大鍬(おおぐわ)、金鍬(かなぐわ)、備中鍬(びっちゅうぐわ)、カジタグワ

整理番号:61, 1326, 1327, 58, 47

コラム:さまざまな鍬  昔の写真:鍬を使って起す


鋤(すき)

鋤(すき)
今のスコップのように、足でふみこんで田畑の土を起す道具です。
「ふみすき」ともよばれます。

整理番号:577

昔の写真:鋤による畝(うね)立て


犂(すき)
犂(すき)
牛や馬に引かせて田畑のあら起しをする農具です。
鋤(すき)と区別するため、唐犂(からすき)とよばれます。

整理番号:512 採集地:東畑郷土資料館 備考:東畑郷土資料館木札「№311 大正カラスキ」、「高北式光栄號」「三重県名張市株式会社高北農機製作所」


馬鍬1(No.120)

馬鍬1(No.120)

馬鍬(まぐわ)

馬鍬2(No.500)

馬鍬(まぐわ)
田植え前、田に水を張り、土を細かくくだいてどろどろにし、平らにならす「しろかき」の作業のとき、牛や馬に引かせた農具です。「まんが」ともよばれます。

馬鍬1 整理番号:120 採集地:東畑(郷土資料館)
馬鍬2 整理番号:500 地域名称:ナタマンガ(滝ノ鼻)

★体験者の声
土質による使い分け
サラサラ、ネバネバ、カチカチ・・・田畑の土の性質も所によってさまざまです。同じ農具でも土の質に適した構造のものが使われました。
写真1〔No.120〕と写真2〔No.500〕は同じ馬鍬ですが、歯の形が異なります。1は錐(きり)のような歯でよく見かける一般的なタイプです。2は鉈(なた)のような形のうすい歯であることから「ナタマンガ」とよばれ、粘土質のネバネバした田を起こすために使われました。砂地の田の場合は1の馬鍬だけで「しろかき」ができましたが、ネバネバした土の田の場合、まず2の「ナタマンガ」で土を細かく切ってから、次に1の馬鍬で平らにして、終わりにもう一度長さ1間半〔約2.7メートル〕ほどの板を1の馬鍬につけて「しろかき」をしました【滝ノ鼻】。

ハシゴで「しろかき」
・牛を飼っていないのでハシゴを使って人力で「しろかき」する農家もありました。二人一組になって、ハシゴの前側の人が、ちょうどグランドでタイヤを引くような格好でひもを持ってハシゴをひき、後ろのもう一人が補助をしました【滝ノ鼻・里】。
・昔の小作の家には道具も少なく、人手中心に農業をやっていました。地主の家は大規模に農業をやっていて保管場所もあるので道具も多かったのかと思います。牛も本家が飼っていて、本家が牛を使うのを終えてから、他の何軒かの家がその牛を借りて使っていました【山田】。

コラム:現代のコメ作り


牛の鞍(くら)
牛の鞍
牛に犂(すき)や馬鍬(まぐわ)を引かせるときには、首木・鞍・尻枷(しりがせ)といった道具を取りつけ、綱(つな)で結びました(写真右から首木・鞍・尻枷)。

整理番号:444 備考:首木の焼印「牛曰く極楽首木」「近江甲賀山内村」「特製[九を○印で囲む]工芸部」
地域名称:尻枷=ヒキボウ(滝ノ鼻)

牛に取り付ける道具

★体験者の声
牛の世話
わたしは中学3年生の時〔昭和20年代前半〕には、自分で牛を操って家の農作業をしていました。わたしの家では役牛(えきぎゅう)を飼っておらず、農作業で必要な時に他の家から借りてきました。
牛には「ゾウズ(雑漿)」という米の研ぎ汁(とぎじる)に小糠(こぬか)や塩を入れた汁をエサといっしょにあたえました。牛は「ゾウズ」をそのまま飲みこむので、のどにつまらせてないよう、ダイコンなどの固形物はまぜませんでした。また、だれもが牛のエサを確保しようとしていたので草刈(くさかり)は競争でした。今のようにあぜの草が長い丈(たけ)で生えているということはありませんでした。
飼い牛は2~4年たったら「バクロウサン(博労さん)」に買ってもらって、若い牛と交換(こうかん)しました。役牛はメスが多かったです。初めて農作業を経験する牛には、石を引かせ練習させて力をつけさせました。とちゅうで座りこむ牛がいましたが、クセにならないようにしつけました【滝ノ鼻】。

コラム:牛曰く極楽首木