米作りの農具
ここでは、精華町内で使われていた米作りの農具を紹介(しょうかい)します。
まず、大規模な宅地開発がはじまる前の精華町の農地についてみておきましょう。
精華町が誕生(町制施行)したのは昭和30(1955)年のことですが、同年の人口は9452人、世帯数は1865戸でした。そのうち7割が農家でした。
表は昭和30(1955)年の耕地面積の割合を示したものですが、耕地のうち田の割合は、精華町が90.0パーセント、相楽郡が71.6パーセント、京都府が76.8パーセントですから、精華町は特に田の割合が高く、まさに「穀倉地帯」であったことが分かります(なお、樹園地とは果樹園や茶園のことです)。
田の割合からもうかがわれるように、精華町の農業は田んぼでの米作りを中心に営まれてきました。昭和30年代以降は、高度成長期を向かえ、米作りも機械化が進みました。このページでは、米作りが機械化される前――おおよそ明治時代のなかごろから昭和30年代ごろ(今から130年から50年くらい前)――、四季それぞれの作業で使用されてきた農具を、昔の写真や農家の体験談も織り交ぜながら、稲作(いなさく)の工程を追って紹介します。
※体験談は、原則として平成22(2010)年に聞き取りを行った内容に基づいています。話者の地区名を【 】で示しています。
○稲代作り
鍬(くわ)、鋤(すき)、犂(すき)、馬鍬(まぐわ)、牛の鞍(くら)
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○田植え
苗籠(なえかご)・天秤棒(てんびんぼう)、田植え定木(たうえじょうぎ)、田植え縄(たうえなわ)、笠(かさ)、ドミノ、ゴザミノ、踏み車(ふみぐるま)
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○草取りと稲刈(いねかり)
雁爪(がんづめ)、除草機(じょそうき)、回転式除草機(かいてんしきじょそうき)、鳴子(なるこ)、鋸鎌(のこぎりがま)、稲木(いなき)
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○脱穀(だっこく)
千歯扱き(せんばこき)、足踏み回転脱穀機(あしぶみかいてんだっこくき)、籾掻き(もみかき)、土臼(つちうす・どうす)
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○選別と俵つめ
唐箕(とうみ)、万石通し(まんごくどおし)、俵編み機(たわらあみき)、俵(たわら)、俵締め機(たわらしめき)、漏斗(じょうご)、箕(み)一升枡(いっしょうます)、一斗枡(いっとます)、斗棒(とぼう)
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