せいか舎コラム

家族の食事スタイル 箱膳からちゃぶ台へ

もともと日本では、家族(かぞく)のひとりひとりが自分専用(せんよう)の膳(ぜん)〔箱膳(はこぜん)や銘々膳(めいめいぜん)〕や食器(しょっき)を使うのが古くからの一般的(いっぱんてき)な食事のスタイルでした。上下関係(かんけい)や身分制(みぶんせい)がきびしい時代には、座(すわ)る場所にもやかましかったのです。

明治時代のおわりから昭和のはじめころ〔今から110~70年くらい前〕にかけて、都市を中心にちゃぶ台が広まったことで、家族みんながひとつのテーブルをかこんで食事をするというスタイルにだんだんとかわっていきました。

しかし、昭和20年代〔今から70~60年くらい前〕までは、自分専用の膳で食事をした家もまだけっこうありました。膳やちゃぶ台では、畳(たたみ)に正座(せいざ)が基本的(きほんてき)な座り方でした。

昭和40年代(今から50~40年くらい前)ころから、椅子(いす)とテーブルを使う西洋風(せいようふう)のダイニングキッチンが広まっていきました。

このように、家族の食事のスタイルにもそれぞれの時代の特徴(とくちょう)があり、それによって使う道具もかわっていきました。

体験者の声(1) ある家庭の食卓(しょくたく)の移り変わり(うつりかわり)
銘々膳(めいめいぜん)
わたしの小学校低学年(ていがくねん)のころ〔昭和30年代までのころ〕、銘々膳で食事をしていました。わが家では箱膳(はこぜん)は使っていません。
5人家族が板の間に正座(せいざ)して銘々膳で食事をしました。きびしい父が上座(かみざ)にいて、ギッとにらんだので、食事中はしゃべる雰囲気(ふんいき)ではありませんでした。母は下座(しもざ)で食事をしました。
ちゃぶ台
その後、小学校高学年くらい〔昭和30年代〕から高校生くらいまでちゃぶ台で食事をしました。丸いちゃぶ台で板の間に正座しました。
ちゃぶ台になってから、家族の食事の雰囲気ががらっと変(か)わりました。父の態度(たいど)が変わったわけではありませんが、銘々膳からちゃぶ台に変わったことで話しをしやすくなりました。
食事が終わるとちゃぶ台をたたんでかたづけました。
テーブル
大学に行ったころ〔昭和40年代〕、ちゃぶ台からテーブルに変わりました。
台所を改良(かいりょう)するようになってから、電化製品(でんかせいひん)などを使うようになりました。
祖母(そぼ)は明治生まれの厳格(げんかく)な女性(じょせい)で、家のなかの決まりごとを仕切(しき)っていました。祖母が亡(な)くなった後は、大正生まれの母が取り仕切るようになりましたが、祖母のように厳格ではなかったので、食卓の雰囲気も変化(へんか)しました。
体験者の声(2)
わたしの家では幼(おさな)いころ〔戦前〕からちゃぶ台を使っていました。結婚(けっこん)した時〔昭和27(1952)年〕、妻(つま)が嫁(よめ)入り道具としてちゃぶ台を持ってきましたが、それは新婚用(しんこんよう)の朱塗(しゅぬ)りのちゃぶ台でした。